津波伝承館とは
津波伝承館とは
「大船渡津波伝承館」は、東日本大震災から2年目の平成25年3月11日に仮オープンした、東日本大震災について発信するところです。被災した旧本社近くでの本オープンを目指しつつ、当面は被災しなかった内陸にあるさいとう製菓㈱の工場の一部をお借りして開館しています。
津波伝承館で聞いたお話
大船渡市の津波の被害
2011年3月11日に起きた東日本大震災による津波で大船渡市は死者が1214人、行方不明者219人(2017年時点)と大きな被害を受けました。しかし、津波の被害件数が多い三陸地域では津波対策を怠っていたわけではありません。防波堤や防潮堤は完備されていました。ただ、東日本大震災が起こる前の防波堤や防潮堤の高さは1960年のチリ地震の津波を想定して建てられたものでした。チリ地震による津波の高さは最大で6.1m。それに対して、東日本大震災による津波の高さは最大16.7mでした。そのため、1000年に1度と呼ばれる東日本大震災の津波を防ぐことは出来ませんでした。
なぜ、津波による被害を最小限に食い止められなかったのか?
防波堤やハザードマップなどの過信
地震や津波などの自然災害の規模は起きてみるまで分かりません。過去の被害規模などと比較して安全かどうか判断することは大変危険です。だから、残念ながら過去の事例に基づいて作成・建設されたハザードマップや防波堤は目安にしか過ぎません。津波が起きた時に市内放送やラジオ、自身の目や耳などで正しい情報をすばやく把握し、迅速かつ柔軟に高台に避難することが大切です。
なぜ、ハザードマップは目安なのでしょうか?
こちらは、経済活動に関係しています。津波に関する看板を置くなどの情報を流すと物価が安くなるので流す情報を最低限にしています。経済活動だから仕方ありませんが、ハザードマップが100%信用できなかったり、人が寄り付かなくなるから流す情報を制限したりと事実が隠蔽されている状態はそん近隣住民の方には公にはされていません。災害に関するどんな情報が信用出来るのかを考え、うまく妥協案を見つけることが大切です。
個人の行動
東日本大震災で起きた津波に対する警報が鳴ってから避難した方はおよそ50%だと言われています。この警報をキャッチして素早く高台に避難した人おおよその方は助かりましたが、避難しなかった方は津波の被害を受けた可能性が高いです。津波の被害を受けた方の場所は以下の通りです。
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自宅:約50%
津波の被害を甘く見て避難しなかったのか?それとも家族の帰宅を待っていたのか?
路上:約19%
避難先:約10%
体育館や市民センターなど過去の事例を基に避難先と定めた箇所が津波の被害を受けた。そのため、避難先にも津波が襲ってきて多くの人の命を奪った。
車の中:約9%
車で避難しようと考えたのか?(渋滞にハマって、身動きが取れない状態に。)また、車で職場や自宅に戻って、大切な人の安否確認を行おうとしたのか?
職場:約9%
同僚など職場の方を待っていたのではないか?
また、津波の警報をキャッチしたのに避難行動に移さなかった方の心情は下記のようだといわれています。
・津波の知識がない
・車内にいたから分からない
・土地勘がない
・避難行動の考えがない
・海沿いに家がある
このように、意識せずに自身にとって良くない情報を無視したり、過小評価したりしてしまうことを「正常性バイアス」と言います。自然災害や事故など自身にとっての被害が予測される環境にいてもそれを日常生活のような正常的な出来事を捉えてしまいます。これが、津波から逃げ遅れた原因だと考えられます。
大船渡市の新たな津波対策
2017年3月に横幅20m、高さ13mの堤防が完成しました。しかし、東日本大震災の時に来た津波は最大16.7mです。防潮堤は現在建設中です(2017年時点)。従来はコンクリートの重さで津波を防いでいました。しかし、コンクリートの耐用年数は約50年で年数が経つとコンクリートの堤防は劣化して機能をなしません。建設中のものは鉄柱を入れる等をして強度を高めている団塊です。この防波堤や防潮堤はは東北沿岸の貴重な水産資源の生態系や観光資源を奪ってしまうと懸念されており、市民と行政の間で溝が生じています。
津波伝承館を訪れての感想
津波伝承館の方のメッセージは
津波伝承館で掲載されていた写真